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Part3

江戸城 Edo Castle in Tokyo

江戸時代の江戸城模型 江戸城大手門

江戸城の歴史

江戸城はもともと1457年に麹町台地の東端に、扇谷上杉家の家臣太田道灌より築かれました。この頃の江戸は海が迫り、江戸湾沿いの地帯は満潮には海水が入り込み、 潮が引けば、葦や萱などが生い茂る湿地帯でした。城の後背地はには、林に覆われた原野が広がり、平坦な土地は極めて少なく大勢の人が生活できませんでした。1590年に徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城となりました。江戸幕府が開かれると大規模な拡張工事が10年の間に集中的に行われました。その後江戸城は堀で街を取り囲む総構えを持つ日本最大の面積の城郭になりました。その周囲は16km他にもおよび世界最大級の城郭とも言えます。およそ260年にわたり、幕府の政庁として徳川将軍およびその家臣団が政務を行う場所となりました。

Histry of Edo Casttle

Edo Castle was originally built in 1457 at the eastern end of the Kojimachi Plateau by Dokan Ota, At this time, the sea was close to the town and seawater entered the high tide in the area along Edo Bay.When the tide went down, it was a wetland overgrown with reeds.In the hinterland of the castle, the wildness was covered with the forest.Many people could not live in Edo due to limited flat land.After Ieyasu Tokugawa entered Edo Castle in 1590, it became the residence of the Tokugawa family.When the Edo Shogunate was opened, large-scale expansion work was intensively carried out during the 10 years.After that, Edo Castle became the largest castle in Japan where the the city was surrounded by moat.The surrounding area is 16km.They say that it is one of the largest castles in the world.For about 260 years, it became the place where General Tokugawa and his vassals performed their affairs as the government office of the Shogunate.

 

川越、久能山、日光という江戸の三角バリア 

川越喜多院 愛宕神社

三角バリアを一気に縮小
川越、久能山、日光という江戸の三角バリアが大きくできたのですが家康の死後、天海はこの三角バリアを突然小さくし、現在の東京二十三区までの範囲にしてしまいます。 江戸城周囲の鬼門や裏鬼門に多くの神社、仏閣が配されているのもこのためです。

典型的な寺社としては鬼門の寛永寺、浅草寺、裏鬼門の増上寺、愛宕神社があります。

 

龍封じの要石、神社仏閣を探る

両国回向院の力塚 南千住回向院の葵の御紋

東京にある風水に強い関わりのある神社仏閣
 龍封じの要石として、両国と南千住には回向院があります。両国の回向院は東側、南千住の 回向院は北側を守るために建立した寺なのです。南千住は刑死者や水死人を祀り、鎮魂していますが、 同時に、江戸をつくるために斬り殺された龍を鎮魂する場所でもあるのです。現在の回向院には徳川の葵の御紋が掲げられています。 両国の回向院では、魂の鎮めと悪霊封じのために力を発揮する仁王様、つまり力士がいます。 四股を踏み、龍の魂を封じこめているのです。ここには相撲関係者を祭る力塚があります。大相撲が両国の国技館で行われるのは、この風水的呪術の意味合いがあるのです。

 

 

隅田川神社

隅田川神社鳥居 隅田川神社本殿

大地を安定させる隅田川神社

両国と南千住の回向院の間にある流域、荒川と隅田川が最も隣合っている鐘ヶ淵には、隅田川神社があります。神社は南北に鳥居を立てるのが普通ですが、ここでは二つの川に向けて鳥居を建てています。 なぜなら、隅田川神社の使いは亀なのです。亀は大地を安定させる聖獣という意味があり、龍封じのためだと考えられているのです。
四神の北は守る神は玄武(げんぶ)で亀の化身です。 四神(しじん)とは、東西南北の四方を守る神(守護神)のことで、「方位の四神」とも呼ばれます。 東は青龍(せいりゅう)、西は白虎(びゃっこ)、南は朱雀(すざく・すじゃく)、北は玄武(げんぶ)の四神(霊獣)となります。

 

素戔嗚(スサノウ)神社  Susanou Shrine

素戔嗚(スサノウ)神社 瑞光石(ずいこうせき)

日光街道沿いのスサノウ神社
北へ進む日光街道は南千住あたりまでは、おおよそ北東に向かっています。 この道沿いに、南千住のスサノオ神社があります。

神社の開祖となる黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)の住居の東方小高い塚上に奇岩がありました。 黒珍はそれを霊場と崇めていると、平安時代延暦14年(795)4月8日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち 二柱の神様が現れ、「吾れは素盞雄大神・飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。 」と御神託を授け、黒珍は一祠を建て丁重にお祀りし、当社が御創建されました。門は天照大神に反逆するスサノオの代わりとも考えられるのです。

牛島神社

牛島神社の撫牛 牛嶋神社例大祭

隅田川を渡河
鎌倉に進軍する源頼朝の軍勢が隅田川を渡河する際に、千葉常胤が当社でここで祈願し無事に渡ることができたという。江東一帯の鎮守府である向島の牛島神社。ここにはスサノオがいます。神社には1845年に奉納された葛飾北斎の大絵馬「須佐之男命厄神退治之図」があった。残念ながら関東大震災で現物は焼失し、現在は原寸大の白黒写真が本殿内に掲げられている。同作は2016年に色彩の推定復元が行われ、すみだ北斎美術館にて展示されていいます。

神田明神の歴史

神田明神隨神門 本殿

平将門で有名な神田明神
神田明神は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ) により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。平将門公を葬った将門塚の 周辺で天変地異が頻発し、それが将門のたたりとして人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして 1309年に当社に奉祀いたしました。天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行いました。偶然にも神田祭の日の9月15日に勝利し天下統一を果たされました。以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。江戸幕府が開かれると、当社は幕府が尊崇する神社となり、1616年に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の神田山の地に遷座し、幕府により現在の社殿が造営されました。耐火構造の社殿が太平洋戦争の空襲から免れたのも将門の霊力ともいわれています。

 

平将門を利用 The Curse of Masakado

大手町の将門の首塚

ビジネス街に残る首塚
東京都千代田区大手町には平将門の首を祀る塚がいまだに残っています。祟りを恐れて大手町周辺が高層ビル街へと発展する過程においても、首塚は取り壊しや移転を免れ、2021年には周辺のビル改築に合わせて周囲は改修された。4月26日には「将門塚」に於いて 将門塚改修竣工式典が行われました。神田山日輪寺住職により落慶法要式典。神田明神神職により竣工式典が執り行なわれました。

 

五行思想 Gogyou 

目赤不動
五色不動と鬼門、裏鬼門の寺社

五行と五つの不動尊
五行思想(ごぎょうしそう)は、古代中国に端を発する自然哲学の思想で万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説。 5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する:相性、相克」という考えが根底に存在する。 西洋の四大元素説(火、土、水、空気)と比較される思想である。
「木・火・土・金・水」は色にすると、「青、赤、黄、白、黒」に相当する。
この考えももとに天海は五色の不動を江戸城の周囲にに配置したという。

 


五つの不動尊「五眼不動」

目赤不動 南谷寺 目白不動 金乗院 目黄・目青不動
目黒不動尊

江戸城鎮護の五色不動

江戸城鎮護の四神にならい江戸城の四方に面置したのが目黒・目白・目赤・目青の四不動で、後になって徳川将軍家光が、四不動に目黄不動尊を加え、五つの不動尊を「五眼不動』としてまとめたとされています。この五色とは目に意味があるのではなく、 東西南北中央の五方角を色で示したものだといわれています。
このことは、天海が江戸の市街を密教の力で封じることを忘れていないことを意味します。

現在の五色不動の場所は

目黒不動 瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)

目白不動 金乗院(東京都豊島区高田)

目赤不動 南谷寺(東京都文京区本駒込)

目青不動 教学院(東京都世田谷区太子堂)

目黄不動 最勝寺(東京都江戸川区平井)と言われています。
どの寺にも不動尊が祀られています。

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